1985-05-23 第102回国会 参議院 地方行政委員会 第16号
これは二十九年度のときに半々にしようという動きがあったときに、当時の山縣厚生大臣でしたか、立った立場ともうころっと違うんです。 だから、昨年の概算要求の段階で一割カットオーケーということをここで言うてしもうて、もうそこから以後というのは財政負担については物が言えなくなっているでしょう。
これは二十九年度のときに半々にしようという動きがあったときに、当時の山縣厚生大臣でしたか、立った立場ともうころっと違うんです。 だから、昨年の概算要求の段階で一割カットオーケーということをここで言うてしもうて、もうそこから以後というのは財政負担については物が言えなくなっているでしょう。
それでこれに対して、当時の山縣厚生大臣は真っ向から反対をしたわけです。彼は自分の職を賭してこれに反対をしたんだ。彼が辞任をしたときに、新聞に辞任の弁というのが載っている。ちょっと聞いてくださいよ。 厚生行政の基本線である生活保護費、児童保護費の国庫負担率の引下げ反対、民間雇用者の恩給ともいうべき厚生年金保険給付費の国庫負担減額の三つについてきょう吉田総理、緒方副総理によく話した。
山縣厚生大臣以来八人か九人の大臣を経てきましたけれども、大体最近の大臣は何か一つ、二つ持って大臣になられております。あなたが何でもかんでも軌道に乗せられるというようなことでは、おそらく厚生省の役人諸君も、一体何から先に軌道に乗せたらいいかわからぬだろうと思うのです。何もかにも脱線しておるわけじゃない。
厚生省もきわめて熱心に、あらゆるものに先行してこの医療金融機関をやらねばならぬというように、当時の山縣厚生大臣の際から、非常に予算的措置に努力を続けられたのでありますが、いつの間にかこの国民金融公庫並びに中小企業金融公庫の中へわずかな金額が入ったことに安堵いたしまして、影をひそめつつあることは最も遺憾でございまして、今日の医療単価では、利潤性を非常に押えております。
これらにつきまして私は山縣厚生大臣の時代だつたと思いますが、府政からあなたの書類は確かに受理いたしておるが、こういう事情で遅れておるのだということを一本出してやつていただけば、どれだけ遺族たちがそれで力強く思うか、そういう意味でこのことをぜひやつてもらいたいというこをお願いたいしておるのですが、数としては大したものじやないのです。
それから山縣厚生大臣が取締役社長でありました新日本汽船の常務の柏尾という人も逮捕されているのであります。大野国務大臣が先般まで取締役をされておりました新日本海運の取締役会長、それから社長も、同様逮捕されているのであります。私は先ほど総理大臣から、造船汚職についての全貌が明らかにされなければ、どうしても政治的な責任について明確にできないというお話でございますが、重ねて私は総理大臣に伺います。
そうして公的な医療機関であるから何とか整備してほしい、こう申し上げまして、当時山縣厚生大臣も一度見に参りましようということでありました。こういう事情でありますから、私は清瀬病院はその代表的なものとしまして病院長に来てもらいまして、その後この日本医療団の残余財産があなた方の方に分与される話があるがというと、全然ありませんというのです。
当時の山縣厚生大臣のやつておられました新日本汽船が、昭和二十五年に八千万円、二十六年に一億四千万円、二十七年に一億円もうかつておる。日本郵船は昭和二十五年に千三百万円、二十六年に五億九千万円、大阪商船は二十五年、赤字三千五百万円でありましたものが二十六年に二億四千万円の利益を上げております。
去年山縣厚生大臣に言つたら、大いに賛成であつて、受胎調節の知識も普及するし、器具その他に至つては、金のない人もあるから、政府でこれを貸してやろう、万々準備間違いないと言つておつたが、減りも減つたり二〇%以上も減つている。これでもつて一体日本の人口問題をどう解決しようというのか。
それは厚生年金保険の問題でありますが、厚生年金保険の問題につきましては、前任の山縣厚生大臣も苦慮いたしておつたことは、私も直接お目にかかつてその御心境も承知いたしておるのでありますが、その後いよいよ政府原案が社会保険審議会の答申を待つという段階になつて、社会保険審議会においては労働者側と事業主側との間における意見の帰一するところを得ずして、そのままに厚生省の方に答申があつたということも聞いておるのでありまするが
今度の山縣厚生大臣をごらんなさい。大蔵大臣にたてついたら、吉田さんの御きげんに触れて大臣をやめなくてはならない。あるいは草葉厚生大臣もがんばられましたならばあぶないかもしれません。あぶないかもしれませんけれども、その後には八千五百万の良識がついておる。どうか国民全般を守るために、ひとつ厚生省は積極的に厚生行政をやつていただきたいということを、私はお願いいたします。
例えばこの間の厚生費削減で、山縣厚生大臣は、とにかくあれは反対の意思を表明して辞めたのです。私はそういう強い意思が表明されれば、我々も安心するのだけれども、どうも諸規則の緩和については極めて合理的のような説明をされるので、我々は危惧を持つわけです。而もその諸規則の改正ということは、どこから出て来たかと言えば、これは都通府県から、やはり地方の経営者団体を通じて上つて来ているわけです。
今あなたのお説のように、また山縣厚生大臣のお気持のように、いやしくも一旦国家のために召集されて、民族、国家のために戦地におもむかれて、そして病を得てなくなられたとか、あるいは不慮の死をなすつた方に対しては、当然国家、民族の気持の上からいつても、これに対するところのお手当をするのはあたりまえなことです。これは論をまたぬところではありますが、しかし却下になつた人たちは満足しておるのではないのです。
まず第一に山縣厚生大臣にお尋ねいたしますが、私が仄聞するところによれば、これは大体緒方副総理に御了解していただいたというようなことも聞いておりますが、事実であるかないかわかりませんのでお尋ねいたしますが、あの長い間の戦争中は、内地に勤務しておる人も数百万おつたのでありますが、それらの諸君が、やはり飛行機の爆撃があれば高射砲でこれに対応して行く、しかし日本内地で勤務しておる当時の軍人で、戦いつつ病気で
山縣厚生大臣に対するものも同文でございます。
○委員長(矢嶋三義君) この際、山縣厚生大臣からも一応委員諸君に事情を説明して頂きたいと思います。なお、明日は、本日はこの状況でございますので、各大臣の出席を仰いで委員会を精力的にやらなければならないと、こういうふうに考えておりまするが、その委員会の要請に応え得られるかどうかという角度からも、一応承わりたいと思います。
昭和二十五、二十六、二十七と非常に儲けていて、山縣厚生大臣の関係しておられる新日本汽船は四割も高率配当をやつておるのであります。そうして最近になつて損がいつたというので、政府がこれに対して利子補給をするということは、一体これで許されるでありましようか、そういうことが……。而も船会社が政府から造船融資を受けるときは見積書を出します。その見積書は全くこれはでたらめであります。
日東商船は二十五年が五千六百万、二十六年が三億四千七百万、二十七年が二億、新日本汽船、これは恐らく山縣厚生大臣の関係されている会社と承わつておりますが、二十五年八千万、二十六年一億四千四百万、二十七年一億郵船会社は二十五年一千三百五十万が二十六年は五億九千万、大阪商船は二十五年赤字三千五百万であつたのが、二十六年度二億四千六百万、こういう厖大な利益を得ていると思うのです。
この考え方に対し、要件の緩和は保険料収入の低下を意味するという山縣厚生大臣の答弁のごときは、社会党案並びに本案が強制保険であり、逆選択の危険性がまつたくないことを忘却しているのであつて、その研究不足と無理解の態度はまさに糾弾さるべきであると考えるものでございます。(拍手) 第四の点は、適用範囲の問題であります。政府案によりますと、適用事業所の規模と職種におきまして多くの制限があるのであります。